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chapter7 02

 

 

 

そこにあるのは

静かな午後、

静かな暮らし

 

 

 

 


 

その男を見たとき、一目でこの街の者ではないとわかった。

薄汚れた路地に似合わないたたずまい。灰色のコートの下には、仕立ての良い紺のスーツ。
光沢のある生地の洋服は、 この路地に最も似合わないものだと思う。
そしてさらに、彼らの様子。
じっと立ちつくす男と、挙動不審の少年の様子がひどく対照的だった。

「も…もう、俺はやらないぞ」

少年は後ずさる。蒼白な面持ちで。
その狼狽ぶりが、異常な緊張感を生んでいる。

灰色の男は黙っていたが、やがて口を開いた。

「わかったよ。行っていい」

低い声音に、ゆったりとした口調。
そして少年の肩をぽんと叩き、立ち去るように促した。
少年の背を見送る様子を見て、俺も多少の緊張感は解いた。

 …なんだ、喧嘩じゃないのか。つまらない。

俺は見てるだけと決め込んでいたが、展開がつまらなかったので
隠れてたロッカーから身を出した。
灰色の男もこちらの様子を気づいているようだ。

ロッカーから出て、灰色の男の目の前に立った。

「なぁおっさん、この街の人間か?」

俺の質問など聞こえてないのだろうか。
男は少年の去った方角をただ、じっとみていたいるだけだ。

「…みえるか」

「え?」

質問への回答だったのだろうか。少年の往った先を見ているばかりで
「返答」が「返答」だとわかりにくい。

  この街の人間に見えるか、と聞いてんのか。

俺は灰色の男の顔をよくみた。 近くで見るその顔はどこにでもいる老人のようだった。
ただ瞳の青がどこか理知的なものを感じさせる。

「あんたは、身なりがいいからここらの人間には見えないよ」

俺がそう答えると、男はふぅ、とため息をついた。
その様子を後ろに見ながら、手に持つボンドの存在を思い出す。

「…あ、やばい。持っていかなきゃ」

俺はその場に男を置いて、急いで教授の所へ戻ろうと思った。
夕方だ。どこをほっつき歩いていたか、とどやされるだろう。

家へと、走り出した瞬間。

ドサリと後ろから音がした。
その音にびっくりして振り返ると、灰色の男が倒れていた。
さっきまで足音もなく気配さえ無いような雰囲気の男が、今倒れている。

「おい!おっさん!しっかりしろよ」

俺が駆け寄ると、灰色の男は真っ青な表情で「大丈夫だ」と繰り返した。

「大丈夫だ。大丈夫だ。俺は大丈夫だ」

手が震えている。呼吸も荒い。
その形相からは、全然、大丈夫そうには見えない。

「おっさん、全然大丈夫そうじゃないぞ。救急車でも呼んでやろうか」

  誰か呼びにいかなきゃ。医者って…

俺が誰か通行人を捜そうとしたとき、灰色の男はしっかりと俺の腕を掴んだ。

「もう大丈夫…だ。私は持病があって、たまにこんな発作を起こす。大人しくしてれば治るんだ」

「そうなのか。おっさん、一人で帰れるか?ここらは結構危ない地域だから」

「ああ、ありがとう。大丈夫…だ。」

灰色の男はにっこりと笑った。初めて見た笑顔だった。
男は何かしら手招きをすると、近くから車がやってきた。向かえの者だろうか。
いつからそばに控えていたのか、俺には全く気づかなかった。

「おっさん…」

男は俺の目線まで体を傾け、俺の肩をぎゅっと掴んで優しく笑った。
その笑顔は、老齢の男に似合わず、とてもワクワクとした表情。
年甲斐もない、少年のような笑顔だった。

「君の名前を教えておくれ。君と、友達になりたくなったよ」

「…」

「おっと、先方が名乗らなくては…な。私の名は、ラウフレアだ。
 長いから、ラウと呼ぶ人もいるよ 」

「ラウフレア…」

ラウフレアの体がまたフラついた。車中の運転手がでてきて、無言で彼を支える。
ラウフレアは支えられたまま来た路地を通っていく。

俺はその後ろ姿を見て、どうしてだろう。

名乗らずにはいられなかった。

「…おっさん!おい!」

ラウフレアの足が止まる。
運転手が怪訝な目で俺を見る。

「なぁ、おれはセイシェル。セイシェルっていうんだ。地図の名なんだ」

これはよろしくの挨拶のつもりだったんだろうか。
どうして初対面で、かつ異常な状態で出会った男に
喜んで名前を告げていたのか。

わからない。
ただ、それだけラウフレアは俺にとって何か感じるものがある
人間だったのだろう、と中途半端な考えしか今も浮かばない。

「そうか。セイシェル・アイランドの名前だな」

ラウフレアは笑って、その場を去った。

 

 

 

<数日後>

それから数日した後、街でラウフレアに再会した。
俺がいつものように買い物に向かった時、同じように路地に
ラウフレアは立っていた。いつもの身なりの良いスーツ。

そういえば、どうしてだかあの少年の姿は見えなかった。公園にも。路地にも。


「ラウフレア」

俺はその呼びにくい名前を、なんど間違えただろう。

「長いなら、ラウでいい。名前なんて、なんだっていいからね」

近くに旨いジュースが飲めるところがあると、ラウフレアは俺を連れてきた。
店員から絞られたジュースのジョッキを受け取り、俺にオレンジジュースを渡す。

「セイシェル、これは覚えたほうがいい。
  こんな旨いオレンジジュースにはそうそうお目にかかれない」

とても楽しそうに、ラウフレアはジュースを飲んでいる。
確かにこのジュースはとても旨かった。
まだ絞り切れてないオレンジの粒の感触や、上に飾られたミントの葉の微かな匂い。
普段には無い、オレンジジュース。

「おっさん、あんた面白いな」

「そうかな。旨いものを旨いというだけだ。普通だろう?」

「そうか?みんな金とかクスリとか、そんなものを欲しがってるよ。この街の連中は」

ラウフレアがジュースを飲み干した。

「みんな、基本を忘れてるんだな。
 人生の大半は、寝て、起きて、旨いものを食べるためにあるんだよ」

「やっぱりあんた面白い」

ラウフレアが笑う。俺も笑う。
俺はこの日飲んだオレンジジュースが生涯一美味しかった飲み物だと自負している。
それ以来いろんなオレンジジュースを飲んだ。けれど、”一番美味しい”称号記録は未だに破られていない。

 

 

 

 

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