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CliniClown 03

 

その患者は相当の悪徳医者にかかっていたらしい。
今まで法外な治療費を支払わされつづけ、俺のところに来た時は
彼も、彼の家族も 疲れ切っていた。

「前の医者には、もう助からないと言われたのです」

患者の息子が言う。俺は黙って話を聞いた。

「長く苦しむよりは、安らかに眠ったほうがいいと家族で決断しました。
 黒十字の病院なら、その処置もしてくれると噂に聞きました」

切々と語る息子の肩は骨がわかるくらいやせ細っていた。
窓辺に飾ってある観葉植物のほうがこの男より生き生きとしている。
皮肉なほど対照的だった。

「私は助かる、と言っているんです。手術をして、通院を続ければ
まだまだ生きられます。」

俺の言葉に、患者の息子は首をふる。彼はずっと伏し目がちに話していたが、
突如目を見開き俺をにらんだ。

「生きられません。父も、僕も、妻も娘も。これ以上この生活を続けられないんです。
 どうか、先生 」

 

沈黙が続く。男は、俺の次の言葉を待っているようだった。


「・・・死の病だと偽って 患者に安楽死を選択させろと言ってるのか」

「・・・ええ、そうです。先生」

患者の息子は、涙を流していた。
俺はその涙には同情できない。

  生きられるものを何故殺すのだ。


そんな真っ当な言葉こそ、この場に最もそぐわない。
蚊帳の外の人間が容易く言えるほど、単純ではないことは
俺にだって十分わかっている。

 

 

 

<黒十字病院 3日目 朝>

 

黒医師が起きた時、既にシェルは昼間の仕事へ出て行った後だった。
病室をのぞくとノーティスが病室の窓を眺めていた。


「先生よ、今日は天気がいいな」

「そうですなぁ 晴れてるから遠くまで見えるでしょう」

ノーティスは危ない足取りでベッドから降り、窓際に立った。
黒医師もそばによる。

「昨夜、あの貝の青年が海はこっちだと言っていたが、君は見えるかい?」

貝の青年。シェルのことをノーティスはそう呼んでいるらしい。


「海は・・・ここからじゃ見えませんね」

黒医師は窓から景色を眺めたが、霧が邪魔して海は見えなかった。
ノーティスはソファに置かれたカルテを取り、黒医師に見せた。
昨日シェルが書いた巻き貝の絵を指さす。

「君は知っているかい?貝には音が聞こえるものがあるそうだ」

「ああ、海の音が聞こえるヤツですか。知っていますよ」

「海?」

黒医師はカルテを手にとり、その絵をまじまじと眺める。貝なのか、渦巻きなのか
よくわからない絵だった。

「貝を耳にあてるとさざ波の音が聞こえる、とよく聞きますね。
 俺には海の音かどうかはわかりませんけれど」

「そうか・・・海の音が・・・」

ノーティスは目を閉じた。その音を想像しているのだろうか。
眠るように祈るように、目を閉じたその姿は
夜の間だけ動き出す 靴屋の小人のようだった。お伽話のような。


 

「ノーティスさん、気持ちは変わらないですか?」

ノーティスはゆっくりと目を開ける。窓から目を離し、黒医師の方向に
ゆっくりと体をむけた。

「先生、私は助からない病ですよ。先生もご存じだ」

「私が聞きたいのはあなたの本心です」

ノーティスはただただ微笑むだけだった。
その表情に、諦めや哀愁の念は読み取れない。

  やはり、俺ごときが入りこむことじゃないな

何度目かの思いをはせる。
「これでいいのか」と、何度も家族に聞こうとした。
同じ事をノーティスにも聞こうとした。

どちらも頑なに、 拒否されることをわかっていた。

 

数分の間のあと、ノーティス氏はぽつりとつぶやいた。

「あの青年をよこしてくれたのは君の案なんだろう?」

「なんのことです?」

「夜中に一人が嫌だなんて、子供じゃあるまいし。
 萎びた老人の言うことではないだろう?
 でも君はお見通しなんだ。ああお見通しなんだ。」

ぶつぶつと同じ事を繰り返し、
ノーティスはのそのそとベッドにもどっていった。
黒医師が部屋を出る時、ノーティスは「ありがとう」と付け足した。


 

 

 

<黒十字病院 夜番3日目>

 

   どうすればいい?  俺はどうしたらいい。

黒十字病院の戸を前に、シェルは立ち止まっていた。
この戸をあければ、いつも通り黒医師はTVにかじりついていて
奥の病室にはノーティスがいるだろう。

その光景は、ここ二日と変わりない。

   けれど、明日になれば ノーティスは?

永遠に退院しないという言葉と、カルテに記された明日までの日付。
それがシェルの脳裏に 一抹の不安をもたらした。


    『おまえが考えている、その通りだ』

黒医師にいわれた言葉をどう受け止めていいのか
シェルの中でまだ答えは出ていなかった。

 

「お」

突然、病院の戸が開く。
ジャージを着た黒医師が煙草を吸いながら出てきた。

「遅いな。遅刻分、給料差し引くぞ」

「おっさん、どこ行くんだよ」

「飲みにだよ。今日は世間は祭りだからな。七夕祭りだ」

”頼むぞ”と付け加え、黒医師は鼻歌混じりに階段を降りていった。


   七夕だと・・・

シェルは空を見上げた。路の下では小さな夜店が出ていたり、花火の音がする。
天の原と呼ばれる星の河は空一面に広がっていた。

いつのまにか七夕の日が来ていたことを、
すっかり忘れていた自分にシェルは驚く。

 

 

<病室>

 

「やあ こんばんわ」

ノーティスは病室にいた。昨日と変わらず縞模様のパジャマを着て
ペンで何かを書きながらベッドに位置している。

シェルは無言のまま病室の戸を閉め、窓際のソファに座った。


祭りの囃子や歌声は、いつも静かなこの病室にも
耳を澄ませば、うっすらと聞こえる。


その音を聞きながら、シェルはやはりノーティスに尋ねようと思った。

「じぃさん、あんた明日−・・・」

「…ノーティスという名の意味を知っているかい?
君とまるで正反対なのだよ」

シェルの言葉をさえぎるように、ノーティスは突拍子もなく話し出した。


「名前の意味?沈黙がどう、とかのヤツ?」

ノーティスはにっこり頷く。自分の名前をそばにあるノートに大きく書いて
シェルに見せた。

「”NOTICE”は気が付く。認知する。認める。そういう意味だよ」

シェルはそのノートを受け取り字を眺める。
一本の直線すらままならない筆跡だった。

「・・・それと俺の名のどこが反対なんだよ」

「それはだねぇ・・・」

 

   遠くで花火が打ちあがった音がした。ワァッという歓声も聞こえてきた。
   窓を見上げると、微かに花火の様子が見れた。
   そしてまたもう一つ、打ち上げられたようだ。
   光の帯がまっすぐ上に飛び立った。

 

「私は知ってて認めている。貝の君は、知っていて認めていない。沈黙している。
 そんな差ではなかろうか?」

シェルは花火から目を外した。

ノーティスは花火に目をやりながら、ぽつりぽつりと続けた。

「私は君と同じ空気を感じるから。きっと同じ思いを持っているんだろう。
ただどっちにも共通なのは、本音を言わないってところだろう」

シェルはノーティスの言葉に耳を傾けた。

「君の名は君にぴったりだ。沈黙の貝。いつまで
そのままで行くのかね?」

ノーティスの言葉と、時折聞こえる花火の音が混ざり、
やがて花火の音は消えていった。
雑踏を歩く人々の笑い声もじきに静かになり
夜中の4時頃には病室にはいつもの静けさが帰ってきた。

そして長い間口を開かなかったシェルが、話し始めた。

「俺も、貝なんてやめたほうがいいのかな」

ノートへ書く手を止め、ノーティスはシェルの顔を見た。

「ノーティス、あんたが本音を言いたくないように、俺にも二度と思い出したくないことがある。
それを黙ってこのまま過ごすことは、 良いことだと思わない。
それでも、狡い考えかもしれないけれど、ずっとこのままでいたいとも思っている。」

「それは君が出す答えだと思う。けれどもね」

ノーティスはノートを閉じて、今までで一番はっきりと語った。
いつもの妖精のような表情は消え、真摯な老人の一人として
シェルに助言を伝えるかのようだった。

「その重さに耐えかねて、潰れてしまってはいけないよ。
秘密や咎(とが)を背負うことは誰だって当たり前のことなんだ。
時にはその重荷を置いて、椅子に座って休憩することが大事なんだよ
疲れ切ってしまう前にね」

ノーティスと視線が混ざる。

「俺は疲れ切っているように見えるか?」

もう花火の音は聞こえない。

「そうでもないね。割と健康な顔をしているよ。・・・私の勝手な見解だけど」

ノーティスはそう言って、クスクス笑い出した。
「君と私じゃ良い勝負だよ」と言って書いてあるノートを投げ出す。
そこにはページ一面に巻き貝の絵が描かれていた。

見よう見真似なその絵は、他人が見ればどれも貝だと想像しずらかったが
シェルにはよくわかった。

「じいさん、この絵を俺にくれ」

「ああ、いいとも」

ノーティスはそう言って、眠り始めた。

 

 

明け方の6時に黒医師は帰ってきた。
シェルのバイトの終わりだった。

黒医師は病室にはよらず、キッチンで何かしているようだった。
シェルは立ち上がり、ノーティスの前に立った。

「これで終わりだな。俺と会うのは」

「ああ そうだよ。短い間、ありがとう」

とても事務的にノーティスは言った。
ベッドに横になったまま、あまり顔を起こさない。

 


「・・・さぁ もう行ってくれ
真実は全て沈黙 それが君だ。

今日も君にとって、ただの普通の一日だ。
いつもの通り、いつもの場所で過ごせばいい。
ただそれだけの日なんだよ」

シェルはうなづき、ノーティスの病室を出る。

 

「・・・ 実に君は優秀なクリニクラウンだったよ」

扉の向こうから、ノーティスの言葉が聞こえた。
シェルは無言で病院を後にした。

 

 

 

 

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