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Chapter401

 

殺した男の顔も、声も、つかまれた腕の痛みも
鮮明に覚えている。
でもどうしてだろう。

あの家に住んでいた人々の顔が
どうしても思い出せない。
フィルタのかかったような
霧の中にいるような
ぼんやりした情景しか目に入らない。
それも日に日に、霧の奥へとかき消えているように思える。

今となっては名前だけしか覚えていない。

俺は自分の記憶から、彼らを消してしまったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

<シェルの家>

真夜中だった。ねこは喉が渇いて目を覚ました。

  水、水・・・


暗闇の中、ベッド脇のペットボトルを手探りでつかみ水を一口飲んだ。
時計に目をやると夜中の3時半。外も静かだった。
時計の針音が規則的な音をたて、それとは反対に不規則なシェルの寝息が聞こえる。
隣で静かに眠っているシェルの頬をそっと撫でた。

「・・・ナ」

シェルが何か寝言を言っている。
ねこはペットボトルを元の場所におき、もう一度毛布の中へもぐり込んだ。


「ミナ」

今度ははっきりと聞き取れた。起きているのかと思って
顔を近づけたが、やはりシェルは眠っている。

「ミナって誰?」

ねこはひとり、そうつぶやいた。

 

 

 

 

<西大寺路・Bunch Of Pigs>

 

「このランチセットBってやつ」

シェルは画用紙に書かれた二つ折りになったメニューを閉じた。
そばに立つダリアに手渡す。受け取る彼女の表情は、なんとも気難しそうだ。

 
   ・・・絶対不機嫌だよな・・・

 

日曜の昼下がり、ねことシェルは昼食に来た。
この前知り合いになった西大寺路を牛耳る男の店に。


地下牢のような薄暗いその店は、最近繁盛している。いままでは
仲間内しか客は来なかったが、ちかごろ近所に住む人々もちらほらと
訪れるようになった。

大半の人は、噂の新人ウェイトレスを目にするのが目的だ。

「ダリア おすすめメニューはなーにー」

ねこがあっけらかんと聞く。
いかにもなメイド風ワンピースを着せられたダリアは 相変わらず無表情だが、
ものすごく不本意な気分がシェルにはひしひしと伝わってきた。
・・・ねこはまったく気にしていない。

「おい ダリアぁー お客様には丁寧に対応しろよなっ」

カウンターの奥からダン・ヴィ・ロウがヤジをとばす。
ダリアはその声を無視し、ねこの前にメニューを広げランチセットの説明をしている。

ねこが誘拐された時にダリアがダンに協力を頼んだ”お礼”として、ここ数日
ダリアはダンの店でウェイトレスをしている。もともと了承していたことだが
強制的に着せられた格好が、不本意らしい。

一方、美人をウェイトレスに置くダンのもくろみは大当たりして、
いまやランチセットまでメニューにくわえられる程の繁盛ぶりだった。

「ねこはピザでいい?ダンが焼くよ。」

「うん 食べる。それにする。」

「ちょっと待っててね」

ダリアはオーダーをメモしながら混んだ客席を縫うようにカウンターへ戻っていく。
その姿をぼんやり眺めるシェルは、”ああやって見ると普通の女の子なのにな”とつくづく思った。


ダリアは接客に忙しいので、ねことシェルはふたりでもくもくと出されたランチセットを食べる。
ダン特製ピザ、・・・といってもパイナップルが山盛りにのっているだけだが、それを食べながら
店内の小さなTVを見ていた。

「俺は仕事に行くけど、ねこはどうする?」

「キジにレコードを返すからここで待ってるよ。ダリアと帰る」

「わかった。じゃあ行ってくる」

傘がいるよ、とねこが付け足した。TVの天気予報は『午後から雨』と言っている。
シェルはダンの店からボロボロの傘を借り 地下鉄に向かった。

 

 

 


<西大寺路・Bunch Of Pigs  −2時間後>

  

   よし、客はいないな。

 

キジは店のドアを開けた。このところ彼はいつも3時頃やってくる。
ランチタイムが終わり一旦店が閉まるころを狙って訪れることにしている。
なんとなく、ざわざわした雰囲気を嫌う習慣があった。
人が多い場所は落ち着かない。

「おっす、姉さん元気?」

ダンが皿を片づけていた。傍らにはねこの手伝っている姿が見えた。

「今日はマシ。今眠ってる。それより 何か飲むものくれよ」

「メニューをどうぞ、お客様」

「金取る気か、このヤロー」

ダンとキジの皮肉まじりの雑談を聞きながら、ねこはふと昨晩のことを思い出した。

「ねぇ、寝言で名前とか呼んだりする?」

「へぇ?」

ダンが根掘り葉掘り聞いてくるので昨日シェルが寝言で人の名前を言っていた、とだけ話した。
それを聞き、ダンはニヤニヤした表情を浮かべて自信たっぷりに断言した。

「そりゃぁ昔の女だな」

「昔の女?」

「きっとシェルが過去につきあっていたオンナだ。」

ダンがそう言うと、キジが「ダンの思いこみだよ」と軽く制した。
昔の女、という言葉をねこは頭の中で反復した。

シェルの過去など、何も知らないのだ。
ねこが知っていることは、シェル自身が3年前に罪を告白したことだけだった。

 

  そういえばシェルの昔のこと、 何も知らない。・・・けれど

  あまり知りたいとも思わないのはどうしてだろう?

 

私は今のままでいいのだ、ねこはそんなことを考えていた。

 

「おまたせ、帰ろ。」

奥から着替え終わったダリアが出てきた。メイド風ワンピースと対照的に
ベージュのパンツスタイルになっている。

「さっきの格好のほうが何倍もいいのになー」

ダンがそう言うと、ハァ、とため息をつくダリア。

「明日はあんな服絶対着ないわよ、ダンが着れば?」

そう言われて、ウーンと考え込んでいるダンを素通りし二人は店の外へ出た。
天気予報の言うとおり、空は陰ってきていた。

 

 

 

<西大寺路 地下道付近>

 

「ねこ、雨降りそうだし地下から帰る?」

「うん、そうしよー」

地下道への階段に向かった。梅水地区北部分は、以前なら治安が悪く通れた道じゃなかったが、
最近は人通りが増え 安全な道になってきた。

地下の入り口には屋台ができ、数人の男女が談笑していたり
キャッチボールをする少年もいる。
ねことダリアが階段を降りようとした時、そのボールがねこの足元に転がってきた。

「すみませーん!」

ねこはボールを拾い、走ってきた少年に手渡そうとした。

「はい、これ」

「ありが・・・」

近づいてきた少年は、ねこからボールを受け取る手を止めた。


「?」

不思議に思い、少年の顔を見た。何かを凝視している。
ねこと同じくらいの年格好の男の子だ。

「あの、ボール」

もう一度手渡そうとしたとき、その少年がポツリと言った。

「姉さん」

そう呼ぶ少年の目線は、ねこを通り越している。
後ろを向くと、すこし下にダリアが立っているだけだ。

「姉さん 僕だよ」

階段に貼られたポスターに目をやっていたダリアは、その声でこちらを振り向いた。
怪訝な表情で少年の見る。が、すぐに驚きの表情に変わった。

ねこがもう一度少年の顔を見ると、その目はダリアによく似ていた。

「・・・アツシ?」

  たしか、ダリアが探す弟の名前は、”アツシ”。
 


ねこは少年に、確かめるようにそう呼んでみた。
ダリアはただじっと、彼を見つめたままだった。

 

 

 

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