back next

13

 

 

「ありがとう」と。レオンは言った。

私の頬に口づけて、穏やかに笑った。

それはまだ昨日の出来事で

今日になれば弟の話をしようと

そう言い残して屋敷を後にしたレオンの後ろ姿すら

まだ鮮明に覚えている。

なのに

 

どうして



レオンが危篤?

 

 

<車中>

「レオン様が?」

ハインツが事態を告げて、最初に口を開いたのは運転手だった。
車を脇へ寄せ、エンジンを止める。音が無くなった車内はしんと静まりかえった。

「ハインツ、説明して。意味がわからない。
 レオンが危篤ってどういうこと」

ダリアが問いただしても、ハインツは答えない。
ただジッと宙を見つめ、そのまま目を閉じた。何か考え込んでいる。
ダリアと運転手が見守る中、ハインツはゆっくり目を開けた。
呆然としていた表情はいつのまにか落ち着きを取り戻し、落とした携帯を拾う。

車内の誰よりも冷静に、事態を告げた。

「一時間ほど前に突然倒れて、意識不明のようだ。
 何故そうなったかは今はまだわからない。クラタから聞いたことはこれだけだ。
 フレミング!」

「は、はい」

突然名前を呼ばれた運転手は、声を裏返して返事をした。

「近くの駅まで車をまわせ。
 ダリアを降ろして屋敷に戻る」

運転手は「わかりました」と返事をすると、すぐに車を発進した。

「ハインツ、私も屋敷に戻るわ」

「ダメだ。ダリア、君は兄さんからもう手を切っていいと言われてる」

「だって、レオンが!」

ハインツはもう一度「ダメだ」と告げた。

「兄さんが危篤状態は、フォーラムハウトの危篤状態だ。
そんなこと僕にだってわかる。君はもう、屋敷にもどらないほうがいい」

「でも」

「わからないの?君は兄さんの愛人の立場なんだよ。
 これを機に兄さんを蹴落としたい連中が何をやりだすかわからない。
 屋敷に居続けるってことは、そういうことだ」

ハインツはダリアの両肩を掴む。その手には力が入っていて、しかし小刻みに震えていた。

「わ…私がいなくなれば、あなたを守る人がいないわ
 ハインツ、あなたが苦しいだけよ。私も戻る 」

「大丈夫。僕は大丈夫だから。事態が詳しくわかったら、必ず連絡するから。
 ダリア、頼むから自分の家に戻って」

いつのまにか車は地下鉄の駅前まで来ていた。
運転手は静かに車を止めた。

戸惑うダリアの替わりに車の扉を開け、ダリアを外へと促した。

「ハインツ…」

ダリアは言われるままに、車を降りた。

運転手は急ぎ、屋敷へと車を発進させる。
ハインツは「必ずだ」と言い残し、ダリアは車道に残された。

 

「どこへ戻れというの…」

走り去る車はどんどん姿が小さくなり、やがて見えなくなった。
ダリアは呆然とした気持ちから抜け出せなかった。
仕方なく地下鉄の階段を降り、自分のアパート最寄り駅の切符を買う。

数ヶ月ぶりに帰るそのアパートに、懐かしさも何も感じなかった。
ダリアはぼんやりとアパートで過ごした。
ハインツからの連絡は何一つ無く、ニュースにレオンの名が出ることも無かった。

ねこへ会いに行こうと思っていたことに気がついたのは、
自分のアパートへ戻ってから二日後だった。

 

 

 

 

<シェルのアパート>

 

「待って待って−」

玄関の鍵をカバンから探りながら、ねこは誰に言うでもなくつぶやいた。
買い物から戻ってきたら、家の電話が鳴っているのに気づいたのだ。
鍵を開け、サンダルを脱ぎ散らかして受話器をとった。
電話に出ると、相手は黒医師だった。

「もしもし、黒先生?珍しいね」

『ああ、ねこか。
 シェルはいるか?昨日もかけたが誰もいなかったぞ』

「いないみたい。あたしは昨日は梅水花園にいたから−…」

話ながら、ねこは電話の側にあるメモを見つけた。

”店長にかりた服を返しに行く”

シェルの字だ。読みやすいように、大きく簡単な言葉で書かれている。

「シェルは服屋に行ったみたい。店長のとこ」

受話器の向こうの黒医師は、「そうか」とつぶやいている。

『夕方にダン・ヴィ・ロウが治療に来る予定なんだ。
 それより早く来れるなら、病院に来いと伝えてくれ』

「えーと、じゃあ夕方以降はダメなのね?」

『ダンが帰った後なら夜でもいい。
 シェル一人に話したいんだ。頼む』

「わかった。伝えるね」

黒医師との電話を切った後、伝言をメモに付け加えた。

  ええと…病院て文字はどんなだっけ

頭を悩ませていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
シェルが帰ってきたのかと思い、メモを置いて玄関へ出ると
そこにはダリアが立っていた。

「ダリア!」

「ねこ」

ダリアの憔悴しきった顔に、ねこは驚いた。

 

 

 

<シェルのアパート>

 

「レオンがキトク?キトクって何?」

ねこは”危篤”の意味がわからなかった。
ダリアから言葉の意味を聞いて、その事態に驚いた。

「ハインツからは何も連絡が無くて。ニュースにも流れないから
 本当にそうなのかわからないけど、嘘とも思えないし…」

確かにそんなニュースは流れていない。
ダリアは疲れた顔でねこを見た。

「レオンはね、弟の情報を全て教えると言っていたの。
 ハインツを狙う男の居場所も掴んだから、私に自由になっていいって言ってた。
 全て事態が好転したと思った矢先に、その報せが来たのよ」

「ダリア…」

「レオンの危篤はハインツを狙った男の仕返しなのかもしれない。
 でも、私はその男の情報は何一つ知らないわ。これでふりだしに戻ってしまった」

ため息をつき、ダリアは頭を抱えている。
これほど気弱になっているダリアをねこは見たことが無かった。

「ね、 ダリア。すべて悪く考えてしまってはキリが無いよ。
これからどうするか、一緒に考えよう。
単純だけど、私はダリアが帰ってきて嬉しいよ」

そう言うとねこは玄関に放り出していた買い物袋を持ってきた。
中から色々と食材をとりだして、ニコッと笑う。

「お昼ごはんの材料買ってきてたんだ。
 一緒に食べて、それから黒先生のとこに行こ。
 キジが色々考えてくれるかもしれないし」

座って待ってて、とダリアを席に座らせるとねこは手際よく準備を始めた。
買い物袋からパンを出してそれを薄めに切っている。

「サンドイッチ食べられる?美味しそうなハムを買ったんだ」

「…うん。食べる」

ここ二日まともに食事をしていなかった。
ねこが用意をするのを眺めながら、ダリアはシェルがいないことに
気がついた。

「ねぇ、シェルは?」

ねこは野菜を洗っていたので振り向かずに返事をした。

「シェルはお店に行ったみたい。きっとすぐ帰ってくるよ。
 シェルもダリアをずっと心配してたんだよ」

  シェルにもレオンのことは話さないと。それに
  似顔絵の例の男についてもー…

ダリアが考え込んでいると、ねこが冷蔵庫をあけて「あれ?」とつぶやいた。

「あれ、チーズが無いなー。確かさっき買ったのに」

買い物袋の中身は空だった。
玄関に落ちてないか探しても、みつからない。

「おかしいなぁ、駐車場で落としたかな。
 自転車で帰ってきたから 」

「じゃあ私がとってくるわ。駐車場ね」

ねこをキッチンに置いて、部屋を出た。

  シェルならこの事態を何て言うだろう
  ねこみたいに、私の帰りを喜んでくれるのだろうか

  また私の存在で、迷惑をかけないだろうか

  本当にここに帰ってきてよかったのだろうか

玄関から出て、螺旋階段を降りながらダリアはそんなことを思っていた。

 

 

<駐車場>

ねこの言う自転車はすぐに見つけられた。
前カゴをみてもチーズは見あたらない。

「あ」

カゴの下に、落ちているそれを見つけた。
ダリアがしゃがんで拾おうとすると、何か気配を感じた。

警戒して辺りを見渡すと、駐車場の入り口に男がいた。

「クラタ…」

そこにはいつものスーツ姿は消え、キャメル色のトレンチコートを羽織ったクラタがいた。
小さなボストンバックを携えている。まるで旅行者のようだった。

「ハインツ様の命令で、事実を伝えに来た」

ダリアはクラタに駆け寄った。

「レオンの危篤は本当なの?」

「本当だ」

クラタは短く答える。

「あの男の…ハインツを狙う男の仕業なのね」

「違う」

クラタはダリアの言葉を否定した。

「レオンを危篤へ追いやったのは、ハインツを狙う男の仕業では無い。
 これはレオン自身の、自業自得とも言える事態だ」

「…どういうこと?」

クラタの言葉少ない説明では、まだ詳細がわからない。

「レオンは毒を受けた。
 フォーラムハウトの毒薬師の、秘蔵の毒だ。
 それがレオンを危篤にさせた原因だ」

毒薬師と聞いて、ダリアは一人の少女を思い浮かべた。
フォーラムハウトの屋敷で出会った、人形のような少女。
ロゼ。

「…まさかロゼが?ロゼがレオンを?」

クラタは「そうだ」と答えるだけだった。

 

 

 

back next


 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送